分からないことが分からない、という壁
なんちゃってシステムエンジニアとして働いてた時は、周りの人たちが同じような人ばかりだった。
まぁ、同じシステムを触っていて、その中身を理解できる知識や経験がある人たちだから、当たり前といえばすごく当たり前なのだけど。
だから、質問をすれば大抵答えをくれたし、分からなくても一緒に考えてくれたりしていた。当然、私も何か質問されれば、知っていることなら答えたし、分からなければ一緒に考えたり、知ってそうな人を教えていた。
問題の大小はあれど、お互いの抱えている問題の共有はとても容易かった。
数年そんな環境にいたからか、新人の相手をするようになってから、今まで頭のなかで使ってこなかった部分をフルに動かすみたいになった。
まず、Ctrl+CとCtrl+Vを知らない。Ctrl+FもCtrl+Aも当然知らない。
IT業界にいなくても、これくらいは知ってるでしょう。だって、君たち情報処理の授業受けてるんでしょう。おばちゃんが学生時代もあったけど、その時とは雲泥の差でしょう?
と目を丸くしたけれど、本当に知らない新人が多かった。
だから、例えば定義書や仕様書を見せても、全てを説明しないと読み方が分からないし、内容の理解も覚束ない、そんなことが日常だった。というか、今も日常にある。
毎日「分からない、のが分からない。理解できないことが理解できない」状態で、教え始めた当初は我ながらよく発狂しなかったと思う。
よく言われることだけど、人間は自分の見える世界、聞こえる世界、把握できる世界しか知らないし、それがその人の全てだ。そして、それは仕方がないことで、自分の仕事はその世界を多少無理矢理にでも広げてやることなんだ、とようやく理解できた。
んで、その時にお互いに見えてる世界が違うんだから、お互いが分かんないのは仕方ないやって思えて、ずいぶん気が楽になった。
一回、知ってる世界に来ちゃったら、知らなかった世界にはなかなか戻れないし、理解していることを理解しない状態に戻すのは無理なんだから、しょうがないよね。
だから、分かんないことも仕方ないし(それを分かるようにするのが仕事だし)、分かんないことが分かんないのも仕方ないよね、だってどっちも分かんないんだから。
ただ、分かんないことを、理解していく過程は経験してるから、その過程を思い出して、向こうの立ち位置から世界を覗きこむことは出来る。有り体にいってしまえば、相手の立場に立って考えてあげれば、なんとかなることが多い。
そこまで来たら、後は簡単。分かんないにイライラしないし、じゃー何なら分かるの?て当たり前に思えて、聞き返せるようになった。
すごく当たり前のことなんだけど、私にとってはすごく発見、というか、いい体験で、研究者は教育者じゃない、だから大学の教授は教えるの下手っていう話をすごく実感した。教えるの、コツもやり方もあるよね。
分からないことが分からない壁って、話ではよく耳にすることだけど、実体験としてはなかなかないことだったから、本当面白い。
教えるとか、伝えるって本当難しいね!